高峰秀子の言葉展
女だらけの夜
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猫を探しています。

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撮影:木村伊兵衛


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1924年、函館市生まれ。(本名:松山秀子)

5歳の時、実母が死去、叔母の養女となり上京してすぐに松竹蒲田の「母」で映画デビュー、「天才子役」として人気を集める。13歳で東宝移籍、のちに自身が「私の映画の父」と敬愛した山本嘉次郎監督と出逢い、「綴方教室」「馬」など少女期の代表作を生む。

26歳で半年間渡仏、帰国後フリーとなり「二十四の瞳」「浮雲」で国内外の映画賞を受賞。文字通り日本映画界のトップ女優となる。

人気絶頂の1955年、30歳で松竹の助監督だった松山善三と結婚。以後「名もなく貧しく美しく」「女が階段を上るとき」「華岡青洲の妻」「恍惚の人」など生涯で300本を超える作品に出演。55歳で出演した「衝動殺人 息子よ」を最後に銀幕引退。

文筆にも優れ、処女作『巴里ひとりある記』から『にんげん住所録』まで26作を著す。自伝『わたしの渡世日記』は日本エッセイストクラブ賞受賞。映画賞受賞数は日本映画界最多。2009年、元週刊文春の記者・斎藤明美を養女にする。

2010年、永眠。享年86。