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『二十四の瞳』(1954年)監督/木下惠介 写真提供/松竹
2023年のカンヌ映画祭では、高峰秀子さんが主演の「宗方姉妹」がプレミア上映されました。

気がつけば5歳で映画の子役にされ、引退する55歳まで半世紀の女優人生で、高峰秀子さんが出演した作品は300余本。仕事が忙しくて小学校に一か月しか通えなかったにもかかわらず、“名文家”とまで呼ばれるまでになり、自伝「わたしの渡世日記」はエッセイストクラブ賞受賞。残した著作全25作は現在も版を重ねています。高峰さんの著作はアジアでも人気が高く、著書「わたしの渡世日記」は21年、中国語版が刊行され、23年は「巴里ひとりある記」が、24年は「ウー、うまい!」が中国語版として刊行される予定です。

高峰さん主演の名画の中でも、代表作「二十四の瞳」はゴールデングローブ賞に輝き、国内外で高く評価されています。また最大の代表作「浮雲」は、高峰さんが17本という最も多く組んだ成瀬己喜男監督による名作で、成瀬は日本の文化芸術に造詣の深いドナルド・キーンが絶賛、海外でも黒澤明、小津安二郎と並ぶ日本映画の名匠と讃えられ、海外サイトで人気の上位を占めています。「浮雲」は殊にフランスで人気が高く、今も年に数回特集上映が行われ、フランスの映画監督レオス・カラックスは高峰さんの大ファンであり、以下のように述べています。

「僕にとって高峰秀子は、リリアン・ギッシュからジュリエット・ビノシュに至る、全ての銀幕上の女性たちの歴史を思い起こさせるものだ。彼女の顔つきは、小津映画のヒロインたちよりも日本的ではないように思える。奇妙に聞こえるかもしれないが、僕には彼女はフェルメールやダ・ヴィンチ、ラ・トゥール、ボナール、マティス等の画家のためにポーズをとっている姿が思い浮かんでしまうのだ」

前回来日したカラックス監督は東宝撮影所を訪れ、正面入り口に飾られている黒澤明監督の「七人の侍」の壁画の傍で記念撮影をと担当者に促されると、「いや、僕は黒澤作品ではなく、この写真の前で撮ってほしい」と、成瀬監督・高峰さん主演の「女が階段を上る時」のポスターの前で満面の笑みを浮かべて記念写真におさまったほどです。

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『浮雲』ⒸTOHO CO.,LTD.
「浮雲」はフランス語版が、「二十四の瞳」「名もなく貧しく美しく」は英語版が制作され、海外でも公開されています。

香港の俳優・レスリー・チャンは、高峰さんが映画祭で功労賞を受けた際、壇上にいる高峰さんに突然駆け寄り、彼女の両手を握りしめて言いました。「私は昔からあなたの大ファンです。あなたの作品は全部観ています。おめにかかれて、本当に光栄です」と。

主演作は社会的貢献も大きく、夫・松山善三の脚本・監督作品「山河あり」は、大正時代にハワイに入植した日本人の歴史を描いた名作で、高峰さんは主演女優でありながら衣裳係も務め、スタッフ全員の食事作りなど裏方でも活躍、戦前戦後の日系一世や二世の過酷な運命を描いて、国内外の映画賞に輝いています。私生活でもハワイに家を持っていた高峰さんと松山監督は、晩年、ハワイ州に一億円を寄付して奨学金基金を設立、現在でも苦学して学ぶ大学生たちを援助しています。30代後半には、夫と共に渡米して、小児麻痺に苦しむ子供たちを助けるべく、全米でキャンペーンを行い、それは松山監督・高峰さん主演の「われ一粒の麦なれど」にも象徴されています。

映画文化で外国との交流を考えた場合、高峰秀子さんがインバウンド客に果たす役割は大きいと同時にSDGsジェンダーの観点からも当時、閉鎖的であった映画業界において、女性が活躍する姿を世に知らしめた功績は計り知れません。

また、現在、「二十四の瞳」はハリウッドでの映像化が検討されており、その初版である1954年版は、まさに殺伐とし未だ紛争が絶えない世界において日本が海外に架けた大きなかけ橋になる作品であることは言うまでもありません。

生誕100年となる2024年を機に、高峰秀子さんの俳優としての功績に限らず、人として、女性としての生き方、美学、何を大事にしたのかなどを、今の若い方々にも知ってもらいたいとの想いから、本プロジェクトは企画されました。